パブはどこから来ているの?
パブは、実はローマの発明です。紀元後約40年、イギリスはローマの支配下にありました。ローマは軍隊を迅速かつ効果的に動かす為に、多数の道を作りました。ローマは “Tabernae” (旅籠屋)と呼ばれるワインの小売店を建設しました。この旅籠屋は、ローマ軍が飲食をしたり、休憩をする場所として作られましたが、すぐにローカルのアルコールを販売し始めます。これが “Ale” (エール)と呼ばれるものです。次第に、“Tabernae” という言葉は “Tavern” と変わっていきました。”Tavern”(タバーン:旅籠屋)は “Alehouse”(エールハウス)と呼ばれることもあります。(TavernとAlehouseという言葉は今もイギリスで使われています。)そしてイギリスがローマの支配下から脱した後も、タバーンとエールハウスは続きました。これらの人気は留まることなく、沢山の村や町に作られました。
パブという言葉はどこから?
最終的に、”Public House”(パブリックハウス)として知られたタバーンとエールハウス。そして人々は略称で “Pub” (パブ)と呼ぶようになります。パブはお酒を飲み交わし、食事をし、世間話をするような、人々が集まれる場所でした。1500年代、法律で全てのアルコールを扱うお店にライセンスが必要と制定されます。興味深いことに、当時エールの醸造過程は水より安全だった為、アルコールを飲むことの方が安全でした。ヨーロッパ界隈で作られたその他のアルコールも、1700代頃から飲むことが可能になり、そして様々な種類のアルコールがパブで提供されるようになりました。
どこのパブもみんな同じ?
答えは違います。パブは時代や客層とともに進化しました。1800年代、イギリスには階級制度が存在し、パブは労働者階級や上層階級に対しつくられました。いくつかのパブは各階層のための部屋もありました。それは、人々がお酒を飲みに集まれるメインのバー(一般的に労働者階級の人)と、上層階級のためのプライベートエリアです。
現代のパブ
現在のイギリスで夜通し飲んで楽しめるタバーンは、もう多くありません。ほとんどの場所は夜間に飲みに行く場所です。しかし、今でも様々なタイプのパブがあります。ロンドンのような都市にあるパブは、田舎町のパブとは違います。レイアウトは同じか、とても似たスタイルですが、装飾やメニュー、客層は違います。一般的に、平日はランチタイムから夜の11時、11時半まで、金曜と週末は夜中の1時、2時までオープンしています。特別なライセンスを持つパブはもっと遅くまでオープンできます。スタッフは30分前にラストオーダーを取ります。ベルを鳴らすか、「皆さん、時間です!(Time Gentlemen Please!)」「ラストオーダー!(Last Orders!)」と叫びます。
これからのパブ
パブの軒数は19世紀から減少しています。1905年、イギリスに99,000軒のパブがありました。2006年には48,000軒。この件数からすると、イギリスの人々はそれほどパブに行かなくなっているようにみえます。しかし、オリジナルのパブを守りたいと思う人々もいます。なぜなら、パブも重要な歴史的建築物として豊富な歴史を持つからです。パブが消滅することは考えにくいですが、これからもさらに減少していく可能性はあるといえます。
イギリス人がお酒を楽しむ場所は、いつになってもパブなのです!