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日英の歴史 1673年

イギリスと日本の間で何が起こったのでしょう


イングランド人の侍‟ウィリアム・アダムス”が1620年に日本で亡くなった後、1624年にイングランド人が九州の平戸にある取引工場を閉鎖します。そして約200年もの間、イングランドと日本はほとんど接触することはありませんでした。

その理由として、イングランドが日本と貿易をするのをやめようと決めたことが挙げられますが、17世紀に徳川家光が制定した鎖国政策が原因でもあります。しかしその約50年後に、小さな出来事が起こったのです。

1673年

1673年に、イングランド東インド会社(後にイギリス東インド会社と呼ばれていました)は日本に戻り貿易を再開します。そして長崎港には「Returner」と呼ばれるイングランド船が到着しました。イングランド人が初めて到着した際、船に掲げられている旗がなぜ十字架なのかと日本人は尋ねたそうです。

イングランド東インド会社が使用していた独自の旗

イングランド人は、十字架がイングランドの旗であることを説明しようとしましたが、日本の政府関係者はそれがキリスト教を表すシンボルであるため受け入れられないと答えました(日本ではこの頃、キリスト教が禁止されていました)。また1616年で、いくつかのイングランド船がこの旗を使用していたのが原因で、日本から追いやられたこともあるようです。

日本はイングランド人にこの旗の使用をやめるよう指示しましたがイングランド人は当初、この命令を受け入れることができませんでした。しかし、この旗が原因で取引に支障が出ることを認識した東インド会社は、十字架ではない別のデザインの旗を作りました。

赤と白のストライプ模様でデザインされた新しい旗

旗のデザインは数種類あったと歴史家は言います。9本のストライプ模様もありましたが、ほとんどが元の13本のストライプのデザインを使用し、東インド会社は、アジア地域すべての取引でこの旗を使用していました。

最終的にイングランド人は日本に貿易再建を求めましたが、将軍職によって拒否されました。 この理由には、50年前にイングランドが日本との貿易を突然中断したこと、そしてイングランド王であったチャールズ2世がキャサリン・オブ・ブラガンザと結婚したことを将軍職は受け入れなかったことが原因となっています。彼女はポルトガル出身で、カトリック教を信仰していました。ちなみに、彼女はイギリスで紅茶の文化を広めたことでよく知られています。

これらの理由によりイングランド人は貿易再建に失敗し、イングランドに戻りました。

イングランドと日本は、長崎県である大きな出来事が起こった1808年までは互いに接触がありませんでした。では次回はこの出来事について見ていきたいと思います。

 

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