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フローレンス・ナイチンゲール Florence Nightingale

イギリスの歴史上で最も有名な看護師

名前: Florence Nightingale
フローレンス・ナイチンゲール

出身:フィレンツェ・トスカーナ

誕生: 1820年5月12日

死没: 1910年8月13日

職業: 看護師と統計学者

フローレンス・ナイチンゲールはイギリスの上流階級である裕福な家庭に生まれました。フローレンスという名前は彼女が生まれたフィレンツェ(フローレンスは英語の読み)という街にちなんで命名されました。彼女が若い頃、父親はヨーロッパのツアーに家族を連れて行きました。フローレンスとその家族は、イングランド生まれのメアリー・クラーク(Mary Clarke)というパリでホステス(客を接待する女主人)をする女性に出会いました。メアリーはフローレンスから‟クラーキー”と呼ばれ、2人は27歳の年齢差があったにもかかわらず親友になりました。クラーキーは上流階級に敬意を払うことはしませんでしたが、フローレンスとその家族だけは例外でした。彼女はとても活気があり、おしゃべりで一緒にいてとても楽しい人でした。クラーキーは特に知的な男友達と一緒に過ごすことに興味を持ちました。これがフローレンスに影響を与えることとなり、男も女も対等の知識を持ち、会話ができるのではないかと気づかされたのです。

何年か経った後、フローレンスは若くして非常に人気のある女性となりました。彼女は魅力的で、そして華奢で秀麗な女性であり、常に笑顔で溢れていました。彼女はある男性から9年間もの間求婚され続けましたが、この結婚の申し込みを拒否しました。彼女は結婚が看護師になるという夢の妨げになってしまうと考えたのです。

その後フローレンスは1850年代に看護師となります。彼女は看護師になる女性に向けた指導も続けていました。その後の1854年、彼女はクリミア戦争で戦う兵士達のために陸軍病院で看護師のボランティアをしました。あまりにも酷い怪我を負った兵士達のために、何かしなくてはという気持ちにさせられたのです。クリミア戦争は連合国(イギリス、フランス、オスマン帝国)とロシア間の戦争でした。フローレンスは他の多くの看護師と共に、オスマン帝国にあるイギリスの収容所(現在のイスタンブール近く)に送られました。

到着した時、悲惨な衛生状態を目の当たりにした彼女はぞっとしました。病院はうまく回っていないために衛生状態は酷いものでした。怪我をした兵士達にも十分な食糧が行き届いておらず、また多くの人が感染症によって命を落としていました。フローレンスは有名な新聞‟The Times”に対して、政府にもっと支援するよう訴えました。この嘆願が望ましい影響を与え、イギリス政府は「イザムバード・キングダム・ブルネル」というエンジニアに、負傷した兵士達のために新たな軍事野戦病院を設計するよう依頼しました。

フローレンスのとった行動により、兵士の死亡率を42%から2%に減らすことができたと言われています。彼女は看護師の手洗いなど基本的な衛生習慣を実施し、また夜間にはランプを持って患者の見回りのために病棟を歩いていたことで有名になりました。そして彼女は”the Lady with the Lamp”として知られるようになりました。

彼女はその後、基本的な衛生設備と病院衛生の主唱者となりました。現代の看護実習にはフローレンス・ナイチンゲールが大きく関わっていると言えます。また彼女は人生を通して多くの本を書き下ろし、そのほとんどが医学の出版物でした。そして、統計データのグラフ式表現の普及を手助けしていました。

1910年、彼女は90歳の時にロンドンで生涯を終えます。彼女の死後には多くの書物が出版されました。