名前: Charles Spencer Chaplin
チャールズ・スペンサー・チャップリン
出身: ロンドン
誕生: 1889年4月16日
死没: 1977年9月25日
職業: 俳優 / コメディアン
彼の本名は‟チャールズ・スペンサー・チャップリン”です。彼の正確な出生についての記録は残されていませんが、1889年に西ロンドンのウォルワースで生まれたと言われています。子供の頃は父親が家を空けていることが多く、母一人で必死に彼を育てました。経済的にも裕福ではなく、厳しい状況の中での生活で、チャップリンは9歳になるまで倉庫の中で暮らしていました。そして14歳になった時、母親は精神的病を患い施設に収容されました。
彼はステージ俳優・コメディアンとして若い頃から働きはじめます。イギリスのミュージックホールなどによく出演していました。その後すぐに、フレッド・カーノーという有名なアメリカの劇団に入団します。そしてキーストン・スタジオにスカウトされ、1914年にサイレントフィルム俳優として作品に出演し始めます。そこで彼は大きな成功をおさめ、「トランプ」という役で一躍有名になり、沢山のファンができました。
チャップリンは自身で映画監督も務め、1918年には世界で最も知られる俳優として選ばれました。
彼の最も有名なサイレントムービーは「キッド(The Kid)」(1921年)、その他にも「巴里の女性(A Woman of Paris)」(1923年)や「黄金狂時代(The Gold Rush)」(1925年)、「サーカス(The Circus)」(1928年)など沢山のヒット作に出演しています。
彼のコメディは斬新で新しく、とても人気がありました。多くの作品はドタバタの喜劇でしたが、徐々に政治的なものへと変化していきます。
1940年、チャップリンは映画「独裁者(The Great Director)」を制作しました。アドルフ・ヒトラーの独裁政治を風刺しながら描いています。この映画にはチャップリンも初めて音声で登場(トーキー映画)しています。過激な表現も使われており、今でもこの作品は忘れられていません。
その後約10年の間で、チャップリンの人気はすぐに落ちてしまいます。多くの人が彼のことを共産主義だと非難しました。そして父親が訴訟、結婚のスキャンダルなどが相次ぎ、FBIの捜査が入るまでに至りました。このようなことが原因でアメリカを去り、スイスへと移住します。
移住した後も「ニューヨークの王様(A King in New York)」(1957年)等の作品を制作しました。この頃から彼は「トランプ
のキャラクターを使わなくなったのです。