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イギリスの歴史「中世後期」アジャンクールの戦い The Battle of Agincourt 1415 AD

イギリス人にとって重要な争いの一つ「アジャンクールの戦い」

アジャンクールの戦いとは、イングランドとフランスの間で起こった百年戦争の主要な争いです。この争いはイギリス人がよく知っている重要な戦争でもあります。

背景

1415年8月、イングランドの王ヘンリー5世はフランスを侵略しました。間もなくして彼が率いる軍はフランス北部にあるアルフルールという町を占領し、ヘンリーは10月になるとフランス海岸のカレーまで進軍することを決めました。当時カレーはイングランドの領土であり、もし彼らがうまく辿り着くことができたら無事イングランドに戻ることができるのです。

フランス軍は収集するのに時間がかかりましたが、彼らはヘンリーを待ち伏せようと計画します。ヘンリーは多くの兵士を病気で亡くし、食料は不足していました。彼の軍は2週間半の間に420kmを進軍し、多くの兵士が赤痢を患い酷く衰弱していました。フランス軍は援軍の到着を待っていたため、ヘンリーとすぐに戦うことを躊躇していました。可能な限り戦闘を遅らせることができれば、フランス軍の数はイングランド軍をさらに上回ることになるのです。

最終的に2つの軍は10月24日に出会います。フランス軍はイングランド軍に交渉を申し出、彼らは議論を始めました。しかしこれはフランス軍の時間稼ぎだったのです。

戦いの準備

アジャンクールの戦いの史料は、フランスとイングランドでは大きく異なるため何が起こったのかを正確にするのは難しいと言われています。

争いは2つの森の間にある狭い場所で行われ、ここは現在のフランスにあるアザンクール村の近くであると言われています。10月には激しい雨が降り耕作地が泥濘と化したため、防衛戦となるイングランド軍にとっては利点となりました。

歴史家は、ヘンリー率いる軍が約1,500人の兵士と約7,000人の射手から成り立っていたとおおむね同意しています。この射手の多くはウェールズ人であり、彼らが使用した弓は”Longbow(長弓)”と呼ばれていました。この弓は非常に強力であることで知られており、矢は非常に長い距離を放つことができます。フランスでのこれまでの戦いのほとんどは、この長弓を効率的に使うことで勝利を収めていました。

イングランドの「Longbow(長弓)」

フランス軍の数は確かではなく、約12,000~36,000人の男性がアジャンクールのフランス軍にいたと推定されています。その中には約8,800人の装甲歩兵と1,200人の騎兵隊、さらには何千人もの歩兵と射手がいたと考えられています。

10月25日の朝、ヘンリーは部隊をフランス軍へと近づけます。フランスの騎兵隊の攻撃を防ぐために拒馬の背後と、視野外にある両側の森に射手を配置させ、前線の中央には歩兵を配置しました。

戦闘

最初にフランス軍の騎兵隊がイングランド軍に突撃しましたが、これが大参事となります。狭い戦場では馬の動きは制限され、フランス軍はイングランド軍の背後から攻めることができず、さらには馬が走り回ることで、地面は泥だらけになりました。イングランド軍の射手はフランスの騎兵隊に多くの矢を放つと馬はパニックになり後退し、恐怖に怯えた馬は後ろにいたフランス歩兵達と衝突してしまうのです。

戦いの配置図

イングランドの長弓の矢は200メートル以内で、装甲を貫通させる威力を持っていました。フランスの装甲部隊のほとんどは身を守るためにヘルメットを閉じたままにしていたために視界は塞がれ、戦いに疲れ果てた多くの兵士達は深い泥の中で溺死し、転倒した兵士は鎧が重すぎたために立ち上がることができなかったと考えられています。このような悲惨な状況が理由となり、イングランド軍の元へ行くまでに疲れ果ててしまった兵士が数多くいました。

イングランド軍の射手が矢を使い果たすと接近戦へと突入し、ヘンリーもこの戦いに参戦しました。怪我をした弟をかばっていたヘンリーは斧で頭を殴られましたが、幸いなことにヘルメットが斧を跳ね返しました。しかし、その衝撃で彼の王冠の一部は欠けてしまいました。約3時間の戦いで疲れ果てたフランス軍は、武器を手に取ることさえもできなくなり、彼らを取り囲んでいたイングランド歩兵と射手とはもう戦う術がありませんでした。

この時点で何千人ものフランス軍が接近戦で降伏することとなりました。フランスの囚人の数はイングランド人を上回っていましたが、フランス軍全員がこの戦いに参戦したのではなく、まだ約3分の1の軍隊が攻撃を待っていたのです。

主要な争いが起こっている間、約600人の小勢のフランス兵士がイングランド軍の背後に周り、補給部隊を攻撃しました。フランス軍はヘンリーの王冠の他、多くの所有物をなんとかして手に入れました。イングランドの補給部隊は軍の背後にいたため、ヘンリーはさらに多くのフランスの援軍が到着し、背後から攻撃されるのではないかと考えたのです。

ヘンリー5世が戦っている様子

まだ攻撃をしていないフランス軍もイングランド軍の前にいたので、何千人ものフランスの囚人達がイングランド軍の数を遥かに上回っていることを知ったら、再び武器を手に取り争いを続けるであろうとヘンリーは心配しました。そして彼はフランスの囚人を処刑するよう軍に命令をしますが、イングランド軍の騎士の多くはそれを拒みました。するとヘンリーは、この命令に従わない者は全員絞首刑にすると脅したのです。

同時にヘンリーはイングランド軍の前で残りのフランス軍に使者を送り、彼らに退却するか死ぬかのどちらかを命じました。彼らはそれに同意し戦場を後にしました。ヘンリーはフランス軍が撤退したのを確認すると処刑を止めるよう命じ、この時約200人のみの囚人が処刑されたと考えられています(200人より少ないとも言われています)。

こうして戦いは終わり、イングランドが勝利しました。

その後の影響

11月にヘンリーと彼の軍は無事にイングランドに戻り、ロンドンでは勝利を収めた歓迎を受けました。

当時のフランスの記録によると、アジャンクールの戦いでフランス人は4,000〜10,000人、イングランド人は約1,600人の男性が命を落としたと言われており、またイングランドの情報によるとフランス軍は約11,000人、そしてイングランド軍はたった100人が命を落としたと言われています。フランス人とイングランド人の死者の比率は約9:1であるというのが通説になっているようです。

フランスに影響を与えたのは殺された兵士の数だけではありません。アジャンクールの戦いでの騎士の多くはフランスの貴族であり、3人の公爵、8人の伯、1人の子爵、1人の大司教、その他多くの貴族が殺されました。フランスの貴族の多くがアジャンクールの戦いの場で命を落としたのです。

さらに、他のヨーロッパ王国はヘンリー5世の勝利が神に守られていると信じ、これはヘンリーの王としての支配とイングランドの評判を強めることとなりました。

現代

今日でも多くのイギリス人(特にイングランド人とウェールズ人)は、 アジャンクールの戦いをイギリスの歴史上最も記憶に残る戦いの1つとして覚えているようです。多くの人は、勝ち目のなかったイングランド軍が10倍もの軍である敵と戦い、勝利を収めたという話が好きなようです。

またアジャンクールの戦いは、イングランド人が350年前に負けたヘイスティングズの戦いに対する復讐とも言われているようですが、イギリス人とフランス人はこの歴史について喧嘩や悪意を感じることなく話すことができるようです。

 

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