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サー・アーサー・コナン・ドイル Sir Arthur Conan Doyle

「シャーロックホームズ」シリーズの著者

名前:Sir Arthur Ignatius Conan Doyle
サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル

出身:スコットランド、エディンバラ

誕生:1859年5月22日

死没:1930年7月7日

職業:作家、小説家

アーサー・コナン・ドイルは、あの有名な「シャーロック・ホームズ」シリーズの著者としてよく知られています。

彼は子供の頃、厳しい生活を送っていました。1864年、父親のアルコール依存症により家族は離ればなれになります。最終的に家族は再び一緒に暮らすことができましたが、非常に貧しい生活を送ることとなります。そして父親は長い間精神病を患い、後に亡くなりました。

コナン・ドイルは若い頃、裕福であった叔父たちの支援を受けていました。彼らはイングランドで、彼の養育費を払う手助けをしました。そして1875年からコナン・ドイルはオーストリアのカトリックの学校に通います。しかしその後すぐに彼はカトリックの信仰を拒絶し、不可知論者になりました。

1876年からはエディンバラ大学に入学し、医学部を専攻します。彼はこの大学に在籍している間、空いた時間で短編小説を書くようになりました。彼はそれらを出版しようと試みましたが、成功することはありませんでした。1879年、彼はなんとかして自身の作品を出版してもらえることになり、それは「The Mystery of Sasassa Valley」と呼ばれるものでした。この作品の物語はアフリカで始まります。その後彼は短期間の間、医師として色々な船に乗り、1882年にはわずかな資金でイングランドのプリマスという所に自らの診療所を開設しました。

彼の診療所はとても静かで、患者を待っている間に彼はフィクションを書き始めました。その一方で医療の場では成果を発揮することができませんでした。彼は、シャーロック・ホームズシリーズの第一作目となる「A Study in Scarlet(緋色の研究)」を執筆し、1886年に出版社に買い取ってもらうことに成功します。その1年後には作品として出版され、高評価を受けました。主人公のシャーロック・ホームズは、彼の大学時代の教授であったジョセフ・ベルをモデルにしています。二人の類似点は注目すべきものであり、教授を知る彼の友人の中には、ジョセフ・ベル教授をモデルにしたのではないかと尋ねる人がいたほど似ていたそうです。

やがて、彼は小説で稼ぐようになり、さらに執筆に専念することを決めました。コナン・ドイルは自身の作品の登場人物であるシャーロック・ホームズがあまり好きではなく、この物語の執筆によって他の作品の執筆をするための時間を無駄にしてしまうと愚痴をこぼしていました。そこで彼は、シャーロックを物語上で死なせることはどうかと冗談を言ったところ、彼の母親は 「You won’t! You can’t! You mustn’t!」と全否定しました。コナン・ドイルは出版社がシャーロックの執筆を続けるように頼んでくるのを止めるため、報酬を引き上げることを決めましたが、出版社はこの彼の要望を快く受け入れました。これにより、彼がこの時代で最も稼いだ作家の一人となるのです。

1893年、コナン・ドイルは「Reichenbach Falls(ライヘンバッハの滝)」の物語でシャーロック・ホームズを殺してしまうことに決めましたが、これに対して国民から多くの非難の声を浴びることとなりました。そのため、1901年にコナン・ドイルは「The Hound of the Baskervilles(バスカヴィル家の犬)」でシャーロックを再び登場させることにしたのです。 1903年、コナン・ドイルはシャーロック・ホームズが「Reichenbach Falls」の物語から新しく出版した小説「The Adventure of the Empty House(空き家の冒険)」の中で、彼が生き延びた様子を書き続けました。シャーロック・ホームズは計56話の物語に登場し、最後の作品は1927年に執筆されました。

その後、アーサー・コナン・ドイルは1930年に心臓発作によってこの世を去ります。彼は最期の言葉は、妻に言った「あなたは素晴らしい」でした。

彼は歴史上で最も有名なイギリス人のキャラクターの一人を生み出しました。今でも多くの人々が、シャーロック・ホームズの物語を読み、また映画などで観ることを楽しんでいます。

 

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