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イギリスの歴史「中世時代初期」ノルマン・コンクエスト Norman Conquest 1066 AD

イギリスの歴史上最も重要な年です

“バイユーのタペストリー”

1066年はイギリスの歴史上最も重要な年でもあります。

背景

イギリスのバイキング統治は1042年頃に終わりました。この時アングロサクソン人は国の支配を取り戻し、エドワードと呼ばれるアングロサクソン人が王となりました。この頃までにイングランド周辺の多くの王国が統一され、国は「イングランド王国」として知られるようになります。

1065年にエドワード王は病に倒れ昏睡状態に陥ります。彼はすぐに目を覚まし、彼の息子であるハロルドに王国を守るように頼みました。エドワード王はその後1066年1月5日に死去、そして息子のハロルドが次の王位についたのです。彼は王になったものの、その他多くの人も王位を主張してきました。ハロルドのいとこであるノルマンディー(北フランス)公のウィリアムは、エドワードが生前、自分に王位を約束し、ハロルドもまたウィリアムが王になるよう手助けすると誓った、と主張していました。

ノルウェーでは、ハーラルと呼ばれるもう一人の男もクヌート1世(イングランド最後のバイキング王の一人)と関係があり、王位を主張していました。

スタンフォード・ブリッジの戦い

ハロルドの敵の一部が軍に加わり、1066年9月ノルウェーのハーラルは、イングランドの王座を要求するために大規模な軍隊を北イングランドに送ります。そして軍隊が到着した直後にヨークの町を攻撃しました。地元のイングランド軍達は中世イギリスの流血戦で敗北し、バイキング軍はヨークの町を征服したのです。

これに対してイングランドのハロルド王は、バイキングの侵略者に会うために北部の軍を出動させます。彼らは9月24日の夜にタドカスターという場所で落ち合いました。そしてハロルドはハーラルの軍に不意打ちを食らわせられたのです。色々な記録によると戦闘は橋の上で行われたそうです。どうやら1人のノルウェーの斧兵がイングランド軍の進行を阻止するため、橋の上で40人もの男を殺したと言われています。しかし一人のイングランド兵士は樽で川を下り、橋の下から槍を突き刺してこの斧兵を殺しました。

スタンフォード・ブリッジの戦い

そしてイングランド軍が橋を渡って前進した後、彼らは時間をかけてバイキング軍を打ちのめします。ハーラルが矢で殺されたことにより軍隊は後退しました。その後イングランド軍は追撃し続けます。バイキング軍には少数のノルウェー人しか残されておらず、ほぼ壊滅状態にありました。 そこでハロルド王はバイキング軍に対し、もしこれ以上攻撃しないと誓ったらイングランドを去ってもいいと許可したのです。

ヘイスティングズの戦い

同時期の9月に、ノルマンディー(北フランス)公のウィリアムが軍隊を養成し、イングランドに向かって出港します。ハロルドはこの時、スタンフォード橋での勝利の祝杯を挙げていましたが、ノルマン軍との戦いのために軍隊を南へ引き連れていかなければなりませんでした。ウィリアムはスタンフォード・ブリッジの戦いからわずか3日後には、イングランドの南海岸に到着していました。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f8/Norman-conquest-1066.svg

1066年 イギリスでの戦闘を表したもの

ウィリアムの軍隊とハロルドの軍隊は10月14日、ヘイスティングズにあるイングランドの町から7マイル離れた場所で落ち合いました。この戦いには数多くの記録があり矛盾が生じるため、実際に何が起こったかを正確に知るのはとても難しいことです。ただ、歴史家によると戦いは10月14日午前9時に始まり、夕暮れまで続いたそうです。イングランド軍は主に歩兵(剣と槍の兵士)、ノルマン軍には歩兵、騎兵、射手が混在していました。

ハロルド王は後にこの戦いで戦死しました。前にも言ったように記録によっては意見が異なりますが、ハロルド王は目を矢で打ち抜かれて殺害されたと多くの人は言っています。彼の死後に軍を率いる者がいなく、すぐにイングランド軍は壊れ始め敗北してしまいます。ハロルド王の死が原因となりイングランド軍が敗北したのではないかと言われています。

ハロルドが殺害された状況が描かれています

余波

ウィリアムは勝利し、侵略を続けました。彼はいくつかの障害に出くわしましたが、12月25日にはロンドンに続きウェストミンスター寺院でイングランドの王位につきました。この時イングランドはフランスの貴族によって支配されていました。
ヘイスティングズの戦いから数年後に、有名なタペストリーが作られました。それは “バイユーのタペストリー”と呼ばれており、ヘイスティングズの戦いを含むイングランドの‟ノルマン征服”を描いています。ノルマンディー公のウィリアムは今や、‟William the Conqueror(通称:征服王)”と呼ばれています。

 

 

Image Credit: Norman-conquest-1066 Map by Amitchell125 at English Wikipedia [CC BY 3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by/3.0)], via Wikimedia Commons

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