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イギリスの歴史「中世後期」 Late Middle Ages 1272 – 1325 AD

エドワード1世とウェールズの争い

コンウィ城

1272年から1485年までの間をイギリスの‟中世後期”と言います。今日はその時代の1272~1325年に注目していきたいと思います。

ウェールズのほとんどの地域が12世紀にノルマン人によって征服されましたが、その後ウェールズ人は反撃し、土地を取り戻しました。 13世紀初頭、ウェールズ人とイングランド人は時折争い合っていましたが、やがて平和を取り戻すこととなります。この時ウェールズは国の先導者によって統治されていましたが、彼らはイングランド王に敬意を払う必要がありました。まもなく、有名なウェールズ先導者の一人であった「ルウェリン・アプ・グリフィズ」という人物が、自身を‟ウェールズの王子”だと宣言しようと決めたのです。彼の領土は北ウェールズにあり、そこは‟グウィネズ”と呼ばれていました。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4a/Wales_after_the_Treaty_of_Montgomery_1267.svg

緑色がルウェリンの領域。ピンク、黄色、オレンジ色はイングランドの領域

ルウェリンの領土に隣接していたイングランドの領主との間で何度も紛争が起こっていました。さらに、ルウェリンは自身をウェールズの王子だと宣言していたので、イングランド王のエドワード1世は彼が反抗的であると感じていました。エドワード1世はルウェリンに、イギリスのチェスターに来て自分に敬意を払うよう命じましたが、 ルウェリンはそれを拒否したためエドワード1世が1276年に戦争宣言をします。

エドワード王とウェールズの争い

エドワード王の父、ヘンリー3世は非常に権力のない王でした。彼が王国に秩序をもたらすという効果はなく、エドワード王とは非常に異なっていました。彼は非常に強い意志を持っており、とても有能な軍事指導者だったため、イングランドの歴史上で最も有名な王の一人として知られています。エドワード王はウェールズの領土を手に入れたかったのではなく、ルウェリンの地位を下げ、ただ彼の権力を弱くしたいとばかり考えていました。

エドワード1世

イングランドとウェールズの戦争はそう長くは続きませんでした。1282年にルウェリンは戦闘中に殺害され、兄のダヴィズが次のウェールズ王子となりました。しかしダヴィズはすぐに捕らわれ、1283年には処刑​​されてしまいます。そして1283年に戦争は終わり、エドワード王は壊滅的にこの反乱を止めることに成功したのです。

エドワードの城

カーナーヴォン城

エドワード王は、将来的に多くの反乱を引き起こす可能性があると感じたため、ウェールズは国の先導者によって支配されるべきではないと判断しました。彼は自身の息子エドワード2世をウェールズ公にすることに決めました。さらには彼の権力を確立するため、ウェールズに大きな城をたくさん建てることを計画します。これは、ウェールズ軍が町を奪取するのを防ぐためでもありました。また、このおかげでイングランド軍もウェールズの色々な地域に留まることができたのです。そしてウェールズには「カーナーヴォン城、コンウィ城、ルズラン城」という最も有名な城が建てられました。翌年には、また別の小規模なウェールズの反乱が起こりましたが、失敗に終わったためにイングランドはウェールズを植民地化していきました。

やがて、ウェールズはイングランドの公国となり、ウェールズはイングランド王によって統治されることとなります。

スコットランドとの戦争

1295年まで、エドワード1世はスコットランドとの間で続いていた問題を抱えていました。彼はスコットランドを自分の王国の一部にしようと試みましたが、スコットランド人はそれを望みませんでした。当初は平和が続いていましたが、エドワード1世はフランスとの戦争に備えて、スコットランドに兵士を準備するように要求しました。しかしスコットランドはそれを拒否し、その後すぐにフランスと同盟を結びました。これが原因となり、1296年にエドワード王はスコットランドを侵略しました。

ウィリアム・ウォレスは、エドワード王との戦いの時にスコットランドの指導者として軍を率いりました。その時スコットランドには王がいなかったので、彼がその代わりとなって行動していたのです。ウォレスは最初のイングランドとの戦いで勝利し、成功を収めました。しかし1298年のフォルカークの戦いで敗北します。ウィリアム・ウォレスはスコットランドの指導者をやめ、ロバート・ブルースと呼ばれる別の人物がスコットランドの王になりました。やがて、エドワード王はスコットランドを征服することを諦める必要がありました。これは、スコットランドが引き続き独立国であることを意味していました。数年後、ウィリアム・ウォレスは1305年に捕らえられ、イングランドに引き渡されることとなります。その後、彼はロンドンで処刑されました。

スコットランドにあるウィリアム・ウォレスの像

エドワード王はウェールズをうまく抑制し、イングランドの力を強化していきました。しかし、彼はスコットランドの征服に失敗し、1307年に亡くなります。そして、彼の息子であったエドワード2世が後の王となったのです。

この後すぐ、イングランドとフランスの間で100年間続いたもう一つの戦争が始まります。次回はこの出来事について見ていきましょう。

 

 

Image Credit: Wales after the Treaty of Montgomery 1267 by By AlexD (Own work) [CC BY-SA 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0) or GFDL (http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html)], via Wikimedia Commons

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